雨宮蒼泉☔️中国語翻訳ブログ

中国語翻訳しつつ、時々語学に関する雑記を書こうかなと思います

広東語〜挨拶①〜

・挨拶

1,你好, Nei1hou2(ネイ ホウ):こんにちは、初めまして

*広東語の你好は基本的にどんな時でも、どんな場面でも使うことができます。

 

2,早晨, Zou2san4(ゾウ サン):おはよう、おはようございます

 

*広東語の話し言葉には、こんばんはに相当する言葉は存在しません。広東語地域は、夏が長く、夜になるのが遅いため。もし夜、挨拶する場合はHi!や你好を使うようだが夜の挨拶は省かれることが多いようです。

 

3,好冇見嘞, Hou2noi6 mou5gin3 la3(ホウノイ モウギン ラ):お久しぶりです

 

4,你幾好嗎?, Nei5 gei2hou2 ma3?(ネイ  ゲイホウ マ):お元気ですか?

 

5,幾好, Gei2hou2(ゲイホウ):元気です

 

6,多謝, Do1ze6(ドー ゼー)/唔該, m4goi1(ムンゴーイ):ありがとうございます

 

梅雨の中国語について

二○二三年六月九日。令和五年癸卯己未戊戌。

今日は雨です。

今回は梅雨にまつわる中国語について書いてみようと思います。

ふと、翻訳以外にも中国語に関する雑記を書いていこうかなと思いました。

 

梅雨

日本語の梅雨にあたる中国語は三つ見つかりました。

1.黄梅雨, huángméiyǔ(ふあんめいゆぅ)

.梅雨, méiyǔ(めいゆぅ)

3.黄梅天, huángméitiān(ふあんめいてぃえん)

 

1,黄梅雨と3,黄梅天という言葉がありますが、なぜ"梅"に"黄"がつくのでしょうか。漢語辞典を引いて調べてみました。

 

【黄梅】

一、コウバイ黄色に熟した梅の実。②梅の実が熟するころ。陰暦の五月ごろをいう。

二、オウバイ①中国湖北省黄梅県西北の山の名。②禅宗の第五祖弘忍(コウニン)のこと{注;①に住んだことから。}③モクセイ科の低木。早春に黄色の花をつける。迎春花。

 

【黄梅雨】

コウバイウ 梅の実が熟するころに降る雨。つゆ。[杜甫の詩にある言葉]

 

黄色というのは熟した梅の実から連想されてついているようですね。

 

 

最後に梅雨を含む例文を三つ書きます。

 

每天都是梅雨天。 měitiān dōu shì méiyǔtiān.

(梅雨空が続く毎日)

又不是梅雨季节,却总是下雨。 yòu bú shì méiyǔ jìjié, què zǒngshì xià yǔ.

(梅雨でもないのによく雨が降るな)

日本也进入了梅雨季节。Rìběn yě jìnrù le méiyǔ jìjié.

(日本も梅雨入りしました)

 

また何か思いついたら適当に書いてみようと思います。ではでは。

 

猫脸太太事件(猫顔老婆事件)-黒竜江省ハルビン市

猫脸老太太,又被称为哈尔滨猫人。这则都市传闻已经算是陈年往事了,如果正史上不记载,那么这件事就会被后事传为笑谈。说是笑谈,但是恐怕很多人都笑不起来,因为这件事在很多人心中曾经是个恐怖的经历!

猫顔老婆、またはハルビン猫人。今では古くなってしまった都市伝説であるが、正史上に記載されていない出来事である。この都市伝説は笑い話として伝わってきた。確かに笑い話のようではある。しかし、多くの人は恐怖のために笑うことなどできなかった。この都市伝説はかつて多くの人の心に恐怖を植え付けてきた歴史があるのだ。

 

传说在哈尔滨道外区的一个老太太,买菜回家的时候死在路上,然后被一只猫扑了,当时就诈尸了,身子没变但是半边脸变成猫的脸。当地的民族风俗是不让牲畜接近死者的,因为大家都害怕尸体借牲畜的气而诈尸还魂。而这个老太太也正巧遇到了动物走过,而巧合的复活。

 

伝わった話によると、ハルビン市道外区に住むある老婆が野菜を買いに出かけた帰り道で路上で死んでしまった。その時、一匹の猫が老婆の死体に飛びかかった。すると、死体は急に起き上がった。身体には変化は見られなかったが、顔の半分が猫の顔のようになっていた。ハルビン市あたりに伝わる民俗によると、家畜などの動物を死者に近寄らせることは禁忌とされていた。なぜかというと、多くの人は死体に動物の気が入り生き返ることを恐れたのだ。

この老婆が亡くなった時にたまたま猫が近づき、老婆は生き返ってしまった。

 

当时是这么传的,这个猫人通常是夜间行动,动作敏捷力大无穷,喜欢吃小孩的肉,但是成年人被咬了之后会也会变成猫人,然后当时盛传哈尔滨市内已经有很多猫人了。

 

当時の猫人についての言い伝えによると、この猫人は通常、夜中に行動し、動きが素早く力も限りなく強く、子どもの肉を食べることを好んだ。しかし、大人が噛みつかれてしまうと猫人になってしまう。当時、ハルビン市では多くの猫人がいると噂されていた。

 

 

中国語原文の引用元[知乎]

 

宅妖(巻一)--小さな長椅子と棺--(聊斎志異/聊斋志异)作:蒲松齢

长山县李公,是李大司寇的侄子,他家里经常有妖异出观,一次,李公见厅上有条长板凳,呈肉红色,非常细润。他因为以前没有见过这东西,所以走近摸了摸。一摸,板凳随手弯曲起来,和肉一样软。李公吓了一跳,拔腿就走。边走边同头看,那东西四腿动了起来,渐渐地隐入墙壁中去了。又有一次,李公见墙壁上竖着一根白色细长的木杖,非常光滑干净。他走近用手一扶,木杖便软绵绵地倒下,像蛇一样弯曲地钻向墙内,一会儿也看不见了。

 

長山県に李公という者がいた。この人物は李という大司寇(注,刑罰等を司る官職)の甥であった。李公の家では常に妖異が現れていた。李公は部屋に長椅子があるのを見た。それは、桃色で、表面はきめ細かく滑らかだった。

彼は今までにこのような物を見たことがなかったので、近づいて触れてみようとした。触れるとまるで肉のように柔らかく、手に従って曲がった。李公はぎょっとして飛び跳ね、素早くその場を去った。歩きつつ振り返ると長椅子の四つ足は動き出し、次第に壁の中へと入っていった。

さらに、李公は壁に一本の白く細長い木の杖が立てかけてあるのを見た。それはとてもつるつるとして綺麗であった。彼は歩み寄ってその杖に手を添えてみた。すると杖はぐにゃぐにゃとして倒れ、蛇のようにぐねぐねしながら壁の中に入り込み見えなくなった。

 

康熙十七年,有一个书生王俊升在李公家教书。一日黄昏时候,刚点上灯,王先生穿着鞋躺在床上。忽然看见一个小人,长三寸多,从门外进来,稍微打了个转就又出去了。过了一会儿,小人拿了两只小凳来,放在屋正中,像小孩用高梁秸做的玩具小凳一样。又过了一会儿,两个小人抬了一口棺材进来,不过四寸多长,放在两只小凳上。安排还没就绪,又见一女子带领几个丫鬟佣人进来,都像先前小人一样的细小。

康熙十七年、王俊昇という書生が李公の家で教師として働いていた。ある日の夕暮れ時、王は部屋の灯りを点け、靴を履いたままベッドに横たわった。すると突然、身長三寸(約10cm)程の小人が現れ、入り口から中に入ってきた。そして、軽く王を叩くとすぐに出ていった。またしばらくすると、その小人が二つの小さな長椅子を抱えてきて、部屋の真ん中に置いた。それは子供用の高梁(コーリャン)の茎で作られたおもちゃの長椅子のようであった。

次は、二人の小人が棺を運びながら入ってきた。その棺は四寸程もない長さであった。小人はその棺を二つの小さな長椅子の上に置いた。

棺が置かれたものの、まだ何かがあるようであった。すると、一人の少女が、少女の召使いを従えて部屋に入ってきた。その少女はさっきの小人と同じように小さかった。

 

女子身穿孝服,腰扎麻绳,头裹白布,用袖子捂着嘴,细声细气地啼哭,那声音就象大苍蝇叫一般。王先生偷看了很长时间,吓得毛骨悚然,浑身像霜打了一洋凉。他大叫一声,拔腿就跑,可是没能跑掉反而跌倒在床下,浑身颤抖,站不起来。当馆里的人们听到喊叫声急忙跑来看时,屋里的小人和小物全都不见了。

 

少女は喪服を着て、腰には麻縄を巻き、頭部に白い布を巻き、袖で口元を覆い隠し、か細い声で泣いていた。その泣き声はまるで蝿の鳴き声のようであった。

王はしばらくの間その様子を盗み見ていたが、あまりの不気味さにぞっとして驚いた。身体中に霜が降りたようにひやりとした。彼は大きな叫び声をあげ、さっと逃げ出そうとした。しかし、逃げ出すこともできず、つまずきベットの下に倒れ、全身をガタガタと震わせて、立ち上がることもできなかった。

家の人達は王の叫び声を聞き、急いで駆けつけたところ、部屋の中には小人達も長椅子と棺も見当たらなくなっていた。

 

上海延安路高架之龙柱・上海延安路高架の龍柱

上海延安路高架,在黄陂路那的,有个龙的雕塑,据说是请高僧来看过的,流传的版本很多,有说龙脉,有说是恶鬼。

 

上海の延安高架の黄陂路(の柱)に、龍の彫刻が施されている。ある高僧にその彫刻を見てもらってから、様々な憶説が出回った。そこには龍脈があるとか、悪い霊がいるとか噂されている。

龍柱

 

据说,延安路高架当年造的时候打桩怎么也打不下去,中国人外国人。后来叫了个高僧来看了以后说是动了龙脉,所以打不下。叫他们在柱桩上刻上龙的样子来压,结果一打就直接打进去了。

 

延安高架の建設当時、中国人と外国人の建設作業員が杭を打ち込もうとしたところ、どうしても上手く打ち込むことができなかった。その後、ある高僧を呼び、見てもらうと、「ここには龍脈があるため杭が打ち込めないのだ。」と、言った。そこで、作業員達は高架下の柱に龍の模様を刻みつけた。すると、杭を打ち込むことができた。

 

 

 

所以现在延安路绿地那里的高架的柱子上有龙的浮雕在那里,而上海其他的高架好象都没有看到过有这种东西。高架的那根龙柱,还是差头司机讲给我听的,他说当初打桩的时候请老和尚来念了很多天的经后来不到半个月那个老和尚就圆寂了。

 

というわけで、現在延安路の緑地にある高架下の柱に龍の彫刻が施されているのである。上海においてこのような高架(の柱)は他に見られない。また、タクシーの運転手からこの高架の龍柱にまつわる話を聞いたことがあった。運転手の話によると、杭を打ち込む建設当時、ある年老いた僧に頼んで数日にわたってお経を読んでもらったところ、その僧は半月も経たないうちに入寂(死亡)してしまったそうである。

 

*情報元:知乎より

 

 

 

 

为何苗族姑娘不喜欢嫁给汉族人,其中第四个原因让人心生畏惧・なぜ苗(ミャオ)族の未婚女性は漢族の男性と婚姻を結ぶ事を嫌がるのか?その四つの理由

苗族可以追溯到距今五六千年前炎黄传说时代,是一个非常古老的民族。苗族的祖先蚩尤,相传在蚩尤的照辅下,苗族百姓过上了安居乐业的生活。现如今在中国的苗族主要分布在贵族(訳者注:贵州に訂正)以及云南等地,而苗族居住生活的环境都星号选在亲近自然、山水环绕的地方。在宗教信仰以及生活习惯上与汉族人有着不同之处,那么,为何苗族姑娘不喜欢嫁给汉族人,其中有以下几个原因:

 

苗族は今から5,6000年前の炎黄伝説時代まで遡る遙か昔に起源を持つ民族である。苗族の始祖は蚩尤(シユウ)と呼ばれる人物である。言い伝えによると、苗族の民は蚩尤の援助の下、安定した暮らしを営んでいた。

現在苗族は貴州省から雲南省に主要な居住地がある。苗族の生活環境は自然と密接な繋がりがあり、山と河に囲まれている。苗族は漢族とは違う宗教信仰と生活習慣を持つ。それでは、なぜ苗族の女性は漢族の男性との結婚を嫌がるのか?その理由を以下に記す。

苗族の衣装を纏う女性達

原因一,苗族人沟通的话语为苗语,一直以来都是学习苗语以及苗语文字。现如今国家提倡国民教育,虽然很多苗族生活的地区都属于国家贫困高山地区,但每个孩子都能受到教育,她们说苗语的同时也会说汉语,学的汉语文化。但上一代的一些老人因未受到汉化文字的学习,她们依旧保持着苗语一种语言交流,因此苗家姑娘出嫁给汉子男子,不得不顾及两家人的相处以及沟通,比较结婚不单单是两个人的事,而是两个家庭的组合。

 

理由1、苗族は苗語によって、互いにコミュニケーションを取り、今までずっと、苗語と苗語文字を使用してきた。現在国家は国民教育を提唱している。多くの苗族の生活地区は中国の貧困高山地区にあるが、ほとんどの子どもは現代の教育を受けることが出来る。なので、苗族の女性達は苗語と中国語(普通話/共通語)を話すことが出来て、中国語文化を学んでいる。

しかし、一つ上の世代の人達の中には漢字の学習をしていない者もいる。彼女達は古い苗語の一種を使用しコミュニケーションを取っている。そのため苗族の家族と漢族の家族の親同士で意思の疏通が難しく、漢族の家庭に嫁ぐことに反対している。結婚は新郎新婦だけの問題では無く、お互いの家族同士で話し合わないといけない問題だからだ。

 

原因二,在婚嫁礼仪上,苗族的礼节繁琐,苗家姑娘出嫁前需要男方家先制定一人前去说亲,苗家家长同意之后。男方才能带着提礼品上门请亲,之后才能结婚。早前在苗家姑娘出嫁时,需要家中的兄弟手撑红伞,将新娘走路护送到男方家中,这是不可或缺的一个礼节。当然,随着社会的发展,交通便捷,这个礼节在苗家部分也慢慢汉化,由汽车接送。

 

理由2、嫁ぐ際の婚礼儀式があるが、苗族の婚礼儀式は煩雑である。苗族の娘が嫁ぐ前に相手の男性がまず一人で苗族の家へ来て家長の同意を得なければいけない。男性は結納金等を持参し家長に結婚の許しを得て、結婚することが出来る。

以前は苗族の娘が嫁に出る時、娘の兄妹に赤い傘を持たせ、娘が相手の男性の家まで行く道のりを付き添っていた。これは欠かすことのできない婚礼儀式であった。言うまでもなく社会は発展し、交通の利便性も向上していく。この苗族の婚礼儀式はゆっくりと漢族の文化に同化し、今では電車で嫁を見送っている。

 

原因三,苗族人热情好客,喝酒都是用大碗喝一口干,而碗中的酒也都是自己家中酿制的高纯度酒,比与市面上贩卖的酒的酒精度高,这样的酒喝起来容易醉。汉族人喝酒都是小杯喝,如果苗家姑娘嫁给汉族人,避免不了在平日两家交往,以及订婚、婚礼上要一醉方休,汉族人也有所忌惮。苗族人有相当严谨的传统,因为本来苗族这个大家庭人数不多,如果与外族结合,相传下去,纯正的苗族人会越来越少,因而苗族姑娘也不喜欢嫁给汉族人。

 

理由3、苗族は情に厚く、客人に接することを好む。酒を飲むときは大きなお椀に入れて一口で飲み干す。しかも、その酒は自家製の高純度の酒で、市場で販売している酒と比べてアルコール度数が高い。このような酒はすぐ酔いが回る。漢族の人は酒を飲むとき小さな盃で飲む。もし漢族の男性が苗族の女性をお嫁さんにすると、平時から両家の交流は避けられない。並びに婚約すると、婚礼上、お酒の席では酔うまで飲まなければいけない。このため漢族の男性は苗族の女性と結婚することに躊躇いが生じる。

苗族はとても謹厳な伝統文化を有している。本来、苗族の家庭は人数が多くないため、もし他の民族と婚姻を結ぶと、次第に純血の苗族は減少していく。そのため、苗族の娘は漢族の家庭に嫁ぐことを嫌がる。

原因四,相传苗族人会用蛊毒,指的是神秘方式配制出巫化的毒物。一旦被下在人的身上,如果没有得到破解之法,人便会因此丧命。当然这也只是传说,并未得到证实,因而也有人觉得这是一个让人不寒而栗的事。

 

理由4、苗族は蠱毒(訳注:呪物)が使えるという言い伝えがある。蠱毒は不思議な儀式で作り出した呪力を込めた毒物である。もし人の体内に取り込まれてしまった場合、呪いを解かなければその人は命を落としてしまう。言うまでもなく、単なる古くから伝わる俗言であり、実証を得ていない。しかし、蠱毒は人に身も凍るような印象を与える。

 

情報源:知乎より